シェイク




語り部♂♀:
  あなた。今回の語り部。
  天敵は月曜日。いつもお仕事、お疲れ様です。
  
  今日は一丁息抜きに、落語でもやるような風で、このお話を読んでみませんか?
  あ、でもね、怖いのが苦手ならやめておいたほうがいいかもしれない。






語り部:
  (お客さんへの簡単なご挨拶をどうぞ。)


語り部:
  さて皆さんは、マイブームって持ってますか?


語り部:
  私は何かと新しいものが好きでしてね。

  通勤の道中に自動販売機があるんですが、
  仕事行くときにゃコーヒー買って「いってきます!」
  帰りにゃ紅茶で「お疲れさん!」なんて、
  寂しい人間のテンプレみたく挨拶したりするんですがね?

  その自販機にゃ、ちょっとした変わり種が入ってることが多くって。
  新商品が入ってたら、どんな商品であれ必ず買ってみるのが
  私のいわば「マイブーム」ってやつなんです。


語り部:
  今日聞いていただこうと思いますのは、こないだの仕事帰り。
  そんな「いつもの自販機」の前に足を向けたときの話でございます。


語り部:
  くたびれた全身を引っぱり出すようにして満員電車からすべりおちて、

  「ああようやっと今日が終わった!ああやっと週末だ!」

  なんてつい口に出してしまうような、けだるい夏の夕方でした。
  1週間がんばった自分に何かご褒美でもあげたい気分じゃないですか。
  駅から3分ほど歩けば「いつもの自販機」だ。


語り部:
  この日はね、なんと幸運なことにマイブームの新商品が目に飛び込んできました。
  しかも一際珍しい逸品。
  緑色の迷彩色の背景に『シェイク』と赤く歪んだ文字が書かれて……
  あぁ、まぁ、どこかの炭酸飲料のような雰囲気を持つデザインの缶飲料だ。

  はぁ自販機でシェイクとはまた、ずいぶんと酔狂な缶飲料を出すメーカーもいたもんだ。
  ふと、視界の端に入る赤い色のラベルを見てギョッとしました。

  赤いラベルに「あったか〜い。」


語り部:
  いやシェイクでホットは攻めすぎでしょうよ!おいおいおい…
  なんてね、ツッコミを入れながらも、口の端がニヤついてしまう。

  いやね、こういった、いわゆる話のネタになる飲み物は大好きなんだ。
  つまるところ、こういう飲み物は、味はどうであれ「おいしい」ってことで。


語り部:
  私は慣れた手つきで財布の小銭入れから硬貨を摘み、投入口へ。
  ボタンの光を人差し指でぐいっと押し潰す。

  ガタタン。商品が取り出し口に落ちる。
  ボタンから指を離すとね、そこには「売切」の二文字が。なんとラスイチだ。
  意外にもホットシェイクの需要が高かったのか、
  あるいは物珍しさが好奇心をくすぐったのか。

  んん、何にしろ今日の私はツイてる。
  ルンルンと浮き立った気分で取り出し口のフタを開け、中に手を突っ込んだんです。


語り部:
  すると。その手に何かがギュッ!と絡みつき私を引っ張るじゃないか!!

  私はその瞬間、もう全身の皮膚の毛が撫でられたように「ぎょおっ」として、
  もう何も考える間もなく、バッと手を振りほどいて引っ込めると、
  体を自販機から遠ざけるように、ピョ〜ンと跳ね上がって、ひっくり返った!


語り部:
  なんだ?なんなんだ?
  誰かがイタズラで蛇でも入れたのか?否。それは蛇ではないんだ。仄かに温かかった。
  では猫でも入っているのか?…否。それは猫でもない。
  そもそもこれは、獣のような感覚じゃあなかった。


語り部:
  いや、ああだこうだと遠回しに探ったところで、
  私はその感覚をよく知っているし、説明できるんです。
  ただ、あまりにありえないことなんで、真っ直ぐには信じられない。

  それは…確かに人生で何度か体験したことがあった感覚。



語り部:
  握手だった。



語り部:
  ガタン。ガタン。
  取り出し口のフタの隙間から、まさか、人の腕が姿を見せる。
  その腕はこちらへと伸びてくる。まるで、握手を求めるかのように。


語り部:
  「うっ…うっ、ううああぁあああああ!!!」

  体中に行き渡った恐怖が心臓を掴むのと同時、
  徒歩で10分の自宅へ向かって、私の足は一目散に逃げ出した!

  総毛立つ全身を庇うこともせず、運動不足な体にムチ打って、
  大きな悲鳴を挙げながら、ああもう、とにかく全力で走った!

語り部:
  ああやっと、マンションだ。とてもエレベーターなんて待っていられない。
  階段を三段飛ばしで駆け上がり、全身が油汗まみれになりながら廊下を駆け抜け、
  私はようやく、自宅のドアの前まで辿り着いた。


語り部:
  「ハァ…ハァ…ハァ……」

  まさか…まさか、ついてきてはいまい。
  ……そぉーっと、振り返る。と。


語り部:
  そこには。


語り部:
  ただ、いつもの廊下。毎朝見る憂鬱な廊下が延びている。
  人はいない。
  何も付いてきちゃいない。


語り部:
  「スゥー……ハァー……」

  大きく息を吸い込み、そして吐き出す。
  息を整える。

  「ハ…ハハッ…」

  ああ、ああ怖かった。怖かった。
  垣間見た非現実・非日常に対して、そんな単純な感想しか持てない自分が、
  少し滑稽にも感じます。


語り部:
  今はとりあえず、未曾有の恐怖から逃げ遂せたことを喜ぼう。
  そうさ、疲れてたんだなぁ。こんな話のネタも大いにアリじゃないか。
  明日、同僚の佐藤に、おどろおどろしく話してやろう、と。

  興奮も冷めやらぬまま、少しの勝ち誇りを胸に、私はドアノブを握った。


語り部:
  それがその日2度目の、

  握手だった。


語り部:
  お後がよろしいようで。








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